英語・英語教育・TOEIC

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どちらでもよい話:固有名詞はどこまで英語にするか

個人の名前は英語文化に合わせて
Hanako Kokusai
と、名ー姓の順で言うのが一般だった。

しかし、2000年、当時の文部省の国語審議会が出した答申「国際社会に対応する日本語の在り方」をもとに、それ以降、姓ー名の順が推奨され、中高の教科書でも日本人の名前はそのように表記されることが多いと言われる。
答申の最下段を参照。

答申の趣旨は「人類の持つ言語や文化の多様性を人類全体が意識し、生かしていくべきである」ということであり、各自の文化を尊重しようということであろう。

たしかに、ネイティブの英語ではなく、世界共通語としての英語を使う場合、各自の文化を尊重するのは大事であろう。

なお、姓名の順は、当面どちらでもよいようである。

ところで、大学の教科書に「大阪城」の話題があった。英語でOsaka Castleとあった。「大阪城」が固有名詞ならOsakajoでは?とも思うがOsaka Castle/Osaka-jo Castleが一般のようだ。

「東京駅」はTokyo-eki Stationとは言わないし面倒だからTokyo Station(Sは小文字もあり)が合理的。こう考えればOsaka Castleでもよいのだろう。

ただ、駅は多数の人が利用するもの、城は利用するのではなく観光名所だから名称全体を固有名詞にしたい気持は個人的にはある。

なお、英会話においては"Osakajo"というだけでは通じない可能性も高いから、後に説明を加える必要があるだろう。

そう考えれば"Osaka Castle"を使えば話がはやい。
また、英検などのスピーキングテストにおいても、試験官がたとえ日本人であっても"Osakajo"だけでは点数が低いだろう。

固有名詞は、駅、空港、公園などもそうだが、「そのまま言って外国人が理解できるかどうか」が重要である。
「桜公園」を"Sakura-Koen"と言ったところで外国人にはわからないのだから。

"Sakura Park"/"Sakura-koen Park"と言わなければ外国語のコミュニケーション能力があるとは言えないだろう。
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【 2016/04/27 】 雑談(英語) | TB(0) | CM(-)

英検やTOEICで狙われるか:knock off

先日、大学院で受講したい授業(10時40分に開始)に関して、開始時間を少し早くすることができないか、メールで先生に尋ねてみたところ、次のような返答があった。

We can start at 10:30 or so and knock off a few minutes at the end.

knock offとは何か。
あまりなじみがないので、今回はこれについて。

まず、knock outは、日本人にはなじみ深い。
ボクシング等で、ノックアウトと言えば、相手を殴るなどして立てなくさせること。
そこから、派生的な意味も何となく想像がつきやすい。

問題は、knock off。
knock offはあまりなじみがないので、英検やTOEICで狙われるかも。

もっとも、コア・ミーニングから考えれば想像はつきやすい。

offのコアは「~から離れて」。

よって、knock offは、「たたいて=knock」、「(自分から)離れるようにする=off」というような意味。

実際、辞書によれば、コアは「たたいて払いのける、打ち落とす」。

そこからいろんな意味が。よく使うと思われるのは「(仕事など)を手早く仕上げる、やめる」
これも、「仕事などを自分から離れたところにおく」というようなニュアンスだろう。

例:Let's knock off work and go out for lunch.仕事を中断してランチにいこう。


ということで、上述のメールの内容は次のような感じだろう。

「10時30分くらいに開始し、終わりを数分早めに切り上げることができる。」


学習者としては、「終えるなら、finishでいいじゃないか。knock offなんて出てきたって覚えられない」と思うかもしれない。
確かに中級くらいまでは、類似表現がいくつもあるとき、どれか1つをまずしっかり覚えるということも大事だろう。

しかし、語彙や表現が複数あるということは、それだけニュアンスの違いが存在するということ。
学習が進むにつれ、ニュアンスの違いを感じることができるようになるとよいだろう。

この場合、finishもknock offも、「終える」ということなのだが、両者のニュアンスの違いは日本語で言えば「終える」と「切り上げる、仕上げる」ということであろう。
【 2016/04/13 】 単語・熟語 | TB(0) | CM(-)

「スピーキングだけ」=植民地にされた状態

3月30日の記事で、「英語母語話者は、非母語話者のことを考える必要がある」というようなことを書いた。

これに関連していると思われるブログを発見した。

内田樹の研究室
「リンガ・フランカのすすめ」


とても興味深い内容なので、ちょっと長いが全部読んでみて頂きたい。

要約すると以下のような感じ。
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言語は政治的に強い意味を持つ。

国際共通語=英語を母語とする者は、国際競争力で最初から圧倒的アドバンテージを持つ。

話し合いで反論されたとしても、「自分達のルールがグローバルスタンダードだ」「非母語話者の英語がへたで、よく理解できない」と主張できる。

このような圧倒的アドバンテージを維持するためには、非母語話者がスピーキング中心の学習をするのがよい

これは植民地政策を実施する側のやり方(仮に、支配されている側の人間が、文法などを学習し、支配者が読んだことがないような難解な書物や古典などの知識を披露するようになると都合が悪い)

日本の語学教育が明治以来読み書き中心であったのは、「欧米にキャッチアップ」するという国家的要請があったから。戦後、オーラル中心に変わったのは、「戦勝国アメリカに対して構造的に劣位にあること」が敗戦国民に求められたから

筆者の提案=世界共通語たる英語に関しては「英語」の名称をやめ、従来の英語とは別の存在とし暫定的に「リンガ・フランカ」と呼ぶ。

非英語圏の英語教育は「リンガ・フランカ教育」と「英語教育」に二分すべき。日本の英語教育が失敗しているのは、この2つを混同しているから。
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内田氏の主張は興味深い。

国と国との関係において、確かに言語は極めて大きな影響力を相手に与える。思考や文化を左右する。

英語に関して、話す能力ばかりを学び、しかも話題は現代の世俗的なことばかりでは、学習者は深い思考を得られず、相手の考えや文化の影響を受けやすい。

つまり、両者の関係性の軸が相手側にある。

一方、深みのある内容、論理的な内容、歴史的な内容などに関するものを理解したり話したりするには、会話ではない「机に向かった勉強」が必要。そして、これらを操れるならば、関係性の軸を自分の中に置くことができ、相手の思考や文化に流されず、「支配」されることがない。


英語教育では、「とにかく話せ」「まずはコミュニケーションだ」という傾向が極めて強いが、以上の内容から考えても、妥当とは思えない。
ビジネスの世界でグローバル化だから「話せなければだめだ、だからまずはスピーキングだ」と考えるのは短絡的ということ。

私がいつも主張している通り、まずは大量のインプットが必要。

インプットの段階で、文法などを学び、自分を中心とした英語の獲得ができるようになるのである。
ブロークンでも、たどたどしくても、しっかりとした内容を語ることによってこそ、相手からの信頼を得て、強い人間関係を結べ、最終的にはビジネスの目的も達成しやすくなるのではないだろうか。




【 2016/04/06 】 英語教育 | TB(0) | CM(-)