英語・英語教育・TOEIC

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社会学は感性に合わないかも

中学英語が必修になったのは意外にも2002年。つい最近のことだ。
年女・年男の人にとっては前回の年女・年男のときの話。
この必修化は私の修士論文でも触れた。教育政策・CEFRを書くにあたり英語教育史を概観したから。

「ますはらくんも興味あるんじゃない?」と、師匠教授が貸してくださった本
「なんで英語やるの?の戦後史」http://goo.gl/7NgClW。
著者は先生の教え子の言語社会学者。

先日、やっと読み終わった。体裁は本だが中身は大論文で読むのが大変だった。

大量の資料をち密に分析しており、興味ある人にはとても有益だろう。
著者によると、「なんで英語やるの?」や「必修化」の理由は「複数存在し」「偶然」とのこと。

まあ、ほとんどの社会的事象はそう言えるのではないか?

個人的には「偶然」という帰結は好みではない(あくまで「好み」の話。)。
もし私だったら、偶然が複数存在したら「必然」と考えたい。
私の場合、「偶然」という言葉は極力使いたくない、との価値判断が常に働く。

社会学者の価値観は「この結論は、諸々の社会的事情が重なり偶然生まれた」というものが多いのだろうか。

社会は人が作っている。よってあらゆる社会現象は人によって引き起こされている。
人はたくさん存在し、その価値観も多様。
結局、社会現象は複数存在することになるのではないか。


色々な事情が背景にあるとしても、決定的判断は、はるかに単純な形で行われることも少なくないのではないか。

「歴史は夜作られる」

のようなもので、重要な政治的・政策的決断は、案外、単純な、またはひょなんなことからスパッと決まってしまうことも多いのではないか。

また日本人の場合特に、主張をはっきり言わない場合が多く、決定がなかなか下せない。そうこうしているうちに結局、「外圧」によってようやく決定することも多いのではないか。

英語教育は明治時代から行われており、戦中は極めて縮小されたものの戦後ももちろん行われていたが、「英語必修化」は結局21世紀になるまで実現されなかった。

理由は「複数」あるものの、一番大きい要因は、「小学校英語の必修化」であろう。
「小学校で必修になる」以上、中学が必修でないのはまずい、という、「中学や英語学習」以外の事情、いわば「外圧」によって、ようやく「必修」の決断が下ったのだろう。


社会学は、資料や統計などから、「全体の傾向は○○だ」と結論づけるものだろう。

私の場合、「全体の傾向はそうかもしれないが、そうでない人もいたであろう。そういう人にむしろ興味がある。」と感じてしまう。
よって、社会学的な感性にはなじまないかもしれない。
(もっとも、まだまだ食わず嫌いなだけなのかもしれないが。)

一方、社会学に似ているかもしれないが歴史(学)は好きである。

「カスタードは好きだが、生クリームは嫌い」みたいなものかもしれない(もっとも、私は生粋の甘党なので、どちらも歓迎ではあるが)


今後、私の研究で社会学的な見方も必要になるかもしれないが、できれば歴史学的な手法を使いたいと思う。

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【 2014/07/23 】 雑談(英語) | TB(0) | CM(-)
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